女子力はどこに行くのか

 

f:id:nekuramansarnotsudoi:20141120163849j:plain

女子力はどこに行くのか

 やっほー山だよ!

 

 

巷で見かける「女子力」という3文字。

いまでは「女子力」が女子校の学校案内の売り文句にまでなっている。

淑徳大学:輝く女子力

http://www.seitoku.jp/highschool/speciality/woman.html

 電車の中吊り広告には女子力を商材にしたエステサロンとか、脱毛サロンとか、企画旅行が並んでいるし、キラキラしている名前の新しいショッピングモールは、まるで暴力のように内装から店舗まで女子力を感じられるコンセプトとなっている。

渋谷ヒカリエ/Shibuya Hikarie

キラリナ京王吉祥寺 公式サイト

 

日本中、口を開けば「女子力女子力・・・」ともういい加減うんざりする。

 

(1)女子力とはなにか

女子力(じょしりょく 英語: women's power[1])とは輝いた生き方をしている女子が持つ力であり、自らの生き方や自らの綺麗さやセンスの良さを目立たせて自身の存在を示す力[2]、男性からチヤホヤされる力[3]。ーwikipediaより

 

輝いた生き方をするのはおおいに結構だし、男子も女子も、輝きに満ちた人生を送って頂きたいものだ。問題はその後で、女子力が自分の生き方・外見・センスの良さを目立たせる力だったとはな!

要は、女性達の私はこんなに美容に金をかけてる、愛されるべき存在なのに、なんで私はチヤホヤされないの!もっと私に注目しろ。 というシュプレヒコールといったところか。

 

私が女子力という言葉の違和感をもつ正体はこれだろう。さらには、女という武器を最大限に利用した処世術といった意味でも使われる女子力。

 

そして女子力、女子力と言ってる奴に限って、誰からも女子力を求められていない。

 

とはいえ、男でも自分に注目して欲しいと思っているし、出来れば楽に生きていきたい。もはやここで女子力について否定しても無意味かもしれない。彼女もいない、非リア野郎に言われても全く説得力がないだろう。でもやる。

 

(2)女子力のはじまり

そもそも誰だよ!女子力とか始めに言い出した奴!

と思って調べてみたら、働きマンで有名なあの安野モヨコ大先生

安野モヨコ (anno_moyoco) on Twitter

のようである。女子力について最初に気がつくだなんて、さすがモヨコ先生だなあ。

 

(3)女性らしくなっても、モテはしない

では、本題に入ろう。

自分を高めようといろいろ努力する事によって、魅力的な自分になり、良い人生を送る。このスタンスは間違ってない。髪を健康的に保ったり、自分の好きなネイルを施して生活することは間違えなくあなたを魅力的な存在にしてくれる。それにより毎日の生活に潤いが出て精神も健康的になる。でも、それによってチヤホヤされるようになるかというと、違う

女性らしくなる事とモテるようになる事は、意識の高い学生と、意識の高い学生(笑)くらい違う。

 

(4)なぜ、あの娘がモテるのか

顔が格別にかわいいと言う分けでもないのに、なぜかイケメンの彼氏が耐えない友達・・・それに比べて私は女子力があるほうなのに、モテない・・・

私と彼女との差はどこにあるのか?

それはズバリどれくらい、相手を考えているかの差だ。

 

マーケティングといっても良い。

例えばOLに団子を売りたいとしよう。その際、ひたすら団子の美味しさを追求した所でその団子がOLに売れるかといえば、そうじゃない。OLの気持ちとなって、趣味思考やライフスタイル、またライバルとなる洋菓子などを分析し、売り方の戦略を立てる事が必要不可欠だ。

モテる女性というのは日常的に男性を意識し、女友達ばかりではなく男性とも遊び、男性の気持ちが理解できる人といっていい。

 

(5)「女子力」に引く男子

一方、女子力を上げる行為というのは、自分自身に気が向いていて、そこに「男性」がいない、本末転倒なんですな。女子力を上げるという自分磨きは、言うならば自己中心的で、ナルシスティックな行為。女子力を華道や茶道のように「道」として極めてしまうと、当然、恋愛からは遠ざかる。

女子力をただ上げてもモテない!自分磨きもいいけれど、モテたいのならば男子を研究すべし!はい、ドーン。

 

と本来ならばここで結論とする所だけども、今回はもう少し踏み込んでみる。

 

(6)男なんていらない!

話は変わるが、文化が精神的に成熟した社会は女性化する運命にある。

一般的に精神年齢は女性の方が男性より高いらしい。体力しか取り柄が無い男性より、精神的に大人の女性の方が力を持っていくことは道理だね☆

最近は聞かなくなったが、2000年代中盤に「エロ可愛い」という言葉をよく耳にした。過激な露出で注目されていた倖田來未に一番勢いが合った頃の話。

このエロかわムーブメントの際、感じていたのは「女性の間でしか盛り上がっていない」という性質だ。

本来、エロさ(セクシーさ)はチラリズムというか、隠すことで生まれるものなのだ。ただ肌を露出させることは表面的なエロさであってセクシーではない。(なのでエロカワは男性には支持されなかった)

しかし、現在の女子力に通じる「私をみて!」と言わんばかり自己主張、潔く服を脱ぎ、わかりやすいエロさを表現するスタンスに憧れる女性は多かった。この地点で、女子力の先駆けとなる「男子」を排除した「女子カルチャー」がお誕生した。

女子カルチャーの図

f:id:nekuramansarnotsudoi:20140831165431j:plain

女子カルチャーは「エロかわいい」から「女子力」と姿をかえ、それが一部の女子のみならず、一般大衆化し、現在に至る。

トップモードで着飾った女同士でレストランに行き、女性同士で旅行し、女性同士でスウィートルームに泊まりという贅沢を(現代の女性は)享受したりしているのですが、そこにもう「男」はいない。(中野香織 広告ー恋する芸術と科学vol390,p147)

 

(7)女子力はどこにいくのか 

異性が存在しないライフスタイルは資本主義が生み出したのだが、その話はまた別の機会にする。世の女子力を極限まで極めた女性達は、どこにむかうのだろうか。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%8A%9B