メキシコのこばなし

メキシコの湖畔のある小さな村で、一人の漁師が暮らしていた。

漁師は朝になると、小さな船で湖に出て、家族が食べる分と市場で少し売る分だけの魚を釣って、昼間に戻ってきた。

 

そして、昼に市場で新鮮な魚を売って、少しの現金収入を得ると、それでささやかな欲しいものを買い、午後はハンモックで昼寝をして過ごし、夕方になるとギターをつま弾きながら、友達と歌を歌って暮らしていた。

 

そこに一人のアメリカ人がやってきた。アメリカ人は漁師の暮らしを見て驚いて言った。

「なんということだ。この湖にはいい魚がたくさんいる。私ならもっと大きな船を作り、今の5倍の魚を釣って売上を上げるだろう」 

メキシコ人は言った。

「ほう、それでどうなるんだ旦那」

アメリカ人は言う。

「そしたら金を貯めるんだ。貯めた金でもっと大きな船を作り、もっとたくさんの魚を捕る」

メキシコ人は言った。

「ほう、それでどうなるんだ旦那」

アメリカ人は言う。

「たくさん金が溜まったら、水産工場を作り、ここで魚の加工もできるようにするんだ」

メキシコ人は言った。

「ほう、それでどうなるんだ旦那」

アメリカ人は言う。

「魚の缶づめを作って世界に輸出できるようになれば、莫大な利益を得ることができる」

メキシコ人は言った。

「ほう、旦那、それには何年くらいかかるようになるんです」 

アメリカ人は言う。

「私の計算では、君が1日12時間働くとして、20年ほどだね」 

メキシコ人は言った。

「ほう、旦那、それで20年経ったら、わしはどうなるんでさ」 

アメリカ人はすこし考え込んでから、言った。

「そうだな、朝から釣りをして、そのあとはハンモックで昼寝をして、夕方には友達とギターを弾きながら歌った暮らせるようになるんだ」

 

メキシコ人は笑って言った。

「旦那、そんな暮らしなら、もう、とっくに手に入れてますよ」

 

 

ー「世界一幸せな国、世界一豊かな国」より 

 

 

 

 

採用される企画書から学ぶ、相手に選らばれる方法

 

どうも、山です。

 

私たちは常日頃、人にジャッジされています。

 

友達、異性とのお付き合い、就職活動、ビジネスといった場面で、常に「どの人と会いたいか?」「付き合うか?」「採用するか?」 と他人に選ばれて生活していますよね。

 

いくら自分が自身に価値があると感じても、かなしいかな。他人に価値を感じてもらえなければ選ばれません。

また自分の価値を他人にわかってもらうためには、声に出して主張し伝えなければ、相手に気がついてもらえません。

 

とはいえ、なかなか自分の思ってることを、上手に人に伝えられないのが我々ネクラ。

自分の想いを伝えつつ、相手に選んでもらうにはどうすればいいのでしょうか?

 

今回はそんな他人選ばれるにあたっての心構えを、採用される企画書の作り方の例から学んでいきましょうぞ。

 

企画書とは

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ググれ。

そうやっていつまでも、先生がなんでも教えてくれると思うなよ。

でも教えちゃう。


企画書とは - コトバンク

 

採用される企画の作り方

 

いい企画=相手に共感される企画

 

まず、なんかしらの企画を考える際に、受け取る相手の立場になって考えてことが、とても重要です。

相手はどんな企業なのか何を求めているのか、受けての年齢、性格を思いながら採用したいと思える企画を考えましょう。

相手に大きなメリットがあり、ワクワクでき、採用せざるおえない企画を考えること。

(くそ企画なら、見せないほうがマシ)

 

企画書を作ろう

企画が出来上がったら、いよいよ企画書の作成です。

受けてにとってわかりやすくシンプルにまとめましょう。

その際に相手が不快となる内容  例えば欠点をあげつらう・競合他社の悪口などはやめておいた方が良いでしょう。具体的な企画書の構成とかはまた次回。

 

採用される企画書の条件

 

①論旨が明快である

採用したらどういうメリットがあるか、予測が立てやすいこと

②ワクワクする

主張があること・熱意が伝わってくること、聞き手に感動を与えるもの

③信用できる

裏が取れていること(データに根拠がある)

④伝達・想起性

企画自体が他の第三者に共感をしてもらえること。

つまり、企画書を相手の会社に渡った際、製作者がいなくても企画の意図が他の第三者に伝わりやすいどうか。また、思い出してもらえるかどうか。

「あの、ゴジラの企画書でしょ?面白いよね」みたいな。

 

採用されないくそウンチ企画書の特徴

 

・ひとりよがりである

・誤字脱字がおおい

・現実性がない

・主張の裏付けがない(根拠不足)

・論理が飛躍しすぎ

文字の詰め込みすぎ ←見にくいし醜い。本当にいい加減に(ry

・伝える気がない

・夢がなく意欲もない

 

いかがでしょうか。

 

え?これが選ばれる人とどう関わって来るのか?

 

実はこれ、人にも応用できます。

上記の企画書の特性部分を「友達になりたい人」「恋人」「採用したくなる人」と変えてみてください。選ばれる人、選ばれない人がどんな人が浮かび上がってきます。

 

つまり、話がわかりやすくて、面白くて、信用できて、存在感がある人が・・・あー死にたい。

 

次回は人をワクワクさせるストーリー(物語)の作り方について話したいと思います。

乞うご期待!

 

P.S.

「めんどくさい」と思うことの大体はしなければならない事で、「やりたい」と思うことは別にやらなくてもいいことがおおいよね。この連載と同じだね!

 

 

あの花で重要なのは最終話ではない

どうも、たかしです。

 

放送からもはや3年が経つが、思うところがあって、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」、通称『あの花』を見た。今回は友人がBD版を貸してくれた。

そして、リアルタイムで見た時は意識しなかったが、今回明確に感じたことがある。

あの花のテーマは「愛と贈与」だ、ということだ。そしてそれは最終話ではなく、最終前話にこそある。話を始めよう。

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(最終前話=第10話より)

 

そもそも論として、この物語は最終話前まで、救われない話だ。何故なら、登場人物は全員、自分のことしか考えていないからだ。

 

ゆきあつは、自分が大好きなめんまが、恋敵じんたんにしか見えず、自分には声も聞こえず、めんまがじんたんに独占されることが我慢ならなかった。だから、めんまを成仏させようとしていた。

あなるは、めんまが成仏すれば、自分が大好きなじんたんがめんまから解放され、自分に振り向いてくれると思っていた。だから、めんまを成仏させようとしていた。

つるこは、めんまが成仏すれば、大好きなゆきあつがめんまから解放され、ゆきあつと仲の良かったあなるも、じんたんがめんまから解放されることで付き合いだせば、最も近しい自分に振り向いて貰えると思っていた。だから、めんまを成仏させようとしていた。

ぽっぽは、目の前で溺死していくめんまをただ見ながら、何も出来なかったことに罪悪感を持ち続け、その為に、かつての秘密基地に縛られ続けた。そして、そのことから解放されたくて、めんまを成仏させようとしていた。

そして最後に、じんたんは大好きなめんまに成仏して欲しくなかった。その理由は、自分だけめんまが見えるまま、死ぬまで一緒に居られればいいと思っていたからだ。

結局のところ、成仏如何に関わらず、誰も、めんまが成仏したいと願うから、そうさせようとした訳ではなかった。実際に女性二人は花火の打ち上げまでの道中で、こう思っている。

 

めんまと私たちの利害は一致している。”

 

彼女らの中では

自分の為に成仏したい人(めんま)⇔自分の為に成仏させたい人(あなる・つるこ)

という関係が成立している。ここにあるのは、自分の欲望と相手の欲望を、対等な関係で【取引】するという行為だ。

 

そして、花火は失敗する。

失意の中、寺で行われた反省会で、それぞれが自分のことしか考えていなかったことが明らかになる。しかし、その中でもう一つ、明らかになることがある。

 

つるこが、昔めんまがじんたんを泣かせる為に秘密で集まろうとしていた日に、あなるとゆきあつがじんたんを呼んでしまったことを、めんまに告げ口していた、と。

その日つるこは、めんまは約束破りの二人に怒るべきだ、と告げた。

だが、それに対してめんまはこう言った。

 

めんまは、じんたんだけじゃなくて、みーんなが大好きだからなぁ…”

 

この言葉に、あなるは目を見開いて驚く。

そして、この時初めて、彼らは自分達の愚かさに気付き始める。

 

めんまはいつも、みんなのことを考えていたのに、自分たちはあの時も、今回も、自分のことしか考えていなかった、と。

 

そして、彼らは、めんま愛されていたことに気づく。

同時に、めんまによって、心に温かさを与えられる。

 

さらにじんたんは、めんまの意思をみんなに打ち明ける。

 

”ほんとはさ、成仏なんて、しなけりゃいいって思ってた。けど、アイツは違ったんだ。俺だけじゃなく、みんなとちゃんと喋りたいって。だから成仏して生まれ変わりたいって。”

 

その時初めて全員が、自分たちの気持ちがどうとかではなく、自分たちを愛し、また、自分達が愛するめんまが成仏したがっているから、それを叶えるのだ!と思えるようになった。だから、めんまの為の超平和バスターズとして、かつてのあだ名で呼び合う仲間として、団結出来た。

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贈与という言葉は、見返りを求めない無償の提供という意味合いを持っている。そして、与えられた人というのは、気持ちが与えた人に寄るものだ。その人のことを考えるようになって、自分もその人の気持ちを考えた上で、与えようとするようになる。

月並みだが、愛とは、自分がどうしたいかではなく、相手がどうしたいかを優先出来ることだと私は思う。彼らは、めんまの贈与によって、自分達の欲望ではなく、めんまの気持ちを優先出来るようになった。

 

その証拠に彼らは、反省会の最後にこう言うのだ。

 

ゆきあつ

めんまの願い、ちゃんと叶えよう。めんまも読んで、日記使って、ちゃんと話してさ。めんと一緒に、もう一度。”

 

あなる

”うん! そうだよ。めんま抜きで話したって意味ない。だって…”

 

つるこ

”私達6人で…超平和バスターズなんだものね。”

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こうして、最終話のかくれんぼへと話は終結していく。

この話で、5人は一度深く挫折し、自分ではなく他人(めんま)を思い遣れるように変わり、結束出来た。救いのない物語が、救いの物語へと変わった転換点だったのだ。

 

色々な人があの花と言えば!と最終話にばかりフォーカスする。しかし、私はあの花のテーマはこの最終前話にこそあると思う。

 

そして、それは恐らく、取引の反対である、愛と贈与なのだ。

1回目:クリエイター(製作者)とオタク(消費者)の関係

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どうも、たかしです。

クリエイター(製作者)とオタク(消費者)の関係について、

【芸術】【デザイン】の違い

という視点から書いてみたい。

 

先に結論を言うと

オタクを甘やかすと、市場が縮小して、業界に金・才能が流れなくなって、お互い死ぬ

という話を書くと思う。

 

今回の第一回の総括としては

物作りにはデザインか、芸術かの方向性があり、そして、クリエイターはそのどこかにあって作品を作っているが、

その上で

デザインメインでマーケット主導の作品(アニメ・漫画・ゲーム)を作れば、それでいいのか!?

という話を書いていく。

 

では、話を始めよう。

 

①芸術とデザインの違い 

【違い】

目の前に解決すべき問題がある、つまり、金になるマーケットがある

それを”狙う”か、否か

 

これだ。

 

狙うなら、デザイン

狙わないなら、芸術

 

②デザインとは何か

これでは訳わからんだろうから、デザイン・芸術の順で掘り下げよう。

 

まず、デザインというのは、解決の志向を持っている。

つまるところ、何か問題があり、それを解決する為に、デザインがあるのだ。

例えば

 

【問題】

ブラウザにおける”前のページに戻る、という動作”をどうユーザーに伝えるか

【解決】

←マークをボタンとして設置する

 【結果】

ユーザーは一目で、

「あ、このボタンを押せば、前のページに戻れるんだな」

と直感的に理解することが出来るようになった。

 

これが、「UIデザイン」という一デザイン分野における、問題と解決の過程だ。

そこに誰かが困っている問題があり、それを解決する。

そのソリューションの質(どれだけ顧客を救ったか)に応じて、報酬がある程度決まってくる。これがデザインというものだろう。

 

③芸術とは何か

対照的に

芸術というものは、問題意識はあっても、解決しようとはしていないことが多い。

多少偏見はあるだろうが、芸術家というものは往々にして、自分の好きなものを見る人関係なく表現するからだ。

 

その結果

「何を伝えたいのか、さっぱり分からん…」

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というような、視聴者・体験者置いてけぼりショーが生まれる。

 

「何なんだよ、これ」

 

我々が文句を言ったとき、彼らはこう言うだろう。

「俺が分かればいいんだよ!!!」

「これが分からない奴らには、芸術がわからんのだ!!!」

と。

 

つまるところ、問題を解決する気もないし、市場(彼ら消費者)を狙う気もない。

表現欲求に方向はなく、ただ爆発している

そう、

芸術は爆発だ!!!”

なのである。

 

④クリエイターの定義

では、よく耳にする『クリエイター』という言葉はなんだろう。

今までの話に当てはめるならば、これは芸術家・デザイナーの両方を含む。

つまり、クリエイターは芸術・デザインという二つの相反する方向性の≪間のどこか≫にいる。

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なので、例えば、この二つの間に立つ者もまたクリエイターだ。

「俺の作品を評価しないなど、奴らは馬鹿だ!! 何でだよ! 評価してくれよおおおお!」

こいつのことだ。

 

クリエイター(製作者)とオタク(消費者)の関係

さて、長々と定義を書かせて頂いたが、ここまでで、物作りにはデザインか、芸術かの方向性があり、そして、クリエイターはそのどこかにあって作品を作っていることが一応分かって頂けたと思う。

以下、本論からは、そんなクリエイターと、オタク=消費者である市場との関係について論じていきたい。

 

では、突然だが、『天元突破グレンラガン』というアニメがかつてあった。

しかしながら、このアニメ、4話が大きな批判の的になった。

その理由は様々あるが、”作画崩壊” ”キャラ崩壊” ”ギャグがつまらん”などだ。

作画崩壊”は、1~3話の絵と、4話の絵を比較すると、理解出来る。

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左3コマが、1~3話まで

右2コマが、4話だ。

確かに、かなり作画が違うことがお分かり頂けるはずだ。

 

実際、以下のブログにどう違うのかの指摘があるので、引用してみる。

グレンラガン4話~作監の個性が受け入れられない時代 - 近日閉店!大匙屋

Aパートからカミナによるシモンへの体育会的なノリのシゴキ演出があるが
アンバランスな輪郭線の引き方や陰影、アオリ重視のカメラワークなどは
小林治本来の個性というより、確かに70年代スポ根アニメのノリに近い。

小林治とは、4話を担当した作画監督のことで、彼が70年代スポ根的な絵や、ギャグを取り入れた訳だ。作画に時間が足りなかった訳ではなく、単純にこういう表現をしたかったのだろう。

 

その結果、今までの作画に慣れていた視聴者が、いきなりこの絵柄とノリに変わって驚き、前述のように批判が殺到した、という訳だ。 

 

グレンラガンのクリエイター達は自分達が表現したかったものを表現して、視聴者から多くの批判を受け取り、それを受けて彼らもまた批判をし返してしまった。だから、結果として、この4話からは炎上騒ぎが起こった。

 

彼らは

俺らの作品はこうなんだよ! 理解出来ない奴がおかしい! ああいう奴らがいるコミュニティも駄目だ!

と批判した。

 

批判の際に彼らが引き合いに出していたものはアニメ業界の伝統だった。例えば、アニメ業界において、作画監督が変わった結果、絵柄やノリが変わるのは普通、それを”作画崩壊”、”作品崩壊”と批判するのはお門違いだ、というものだ。

つまるところ、この話において、クリエイター達は、芸術家寄りだったのだ。

 

現在の視聴者、つまり、現在の【市場】は、この変化に適応していないことは明らかだった。だから、大量の批判が起こる。

作画監督の変更で変わった絵柄は受け入れられなかったし、キャラクターの個性も”改変”、ギャグも”時代錯誤”と言われた。結局、市場・顧客はもはや変化してしまっていたのだ。

このように視聴者を「顧客」と見るならば、クリエイター達の批判は的外れも良いところな言い訳でしかない。出てくる商品・サービスが彼らにとって良いか、悪いか、それだけがビジネスにおいては重要だ。市場の歓迎こそ、優れたデザインたる大きな証だからだ。

 

では、彼らがもしデザイナー寄りのクリエイターだったら、どうなるか。

 

ここにおいて、【問題】と【解決】とは

  1. 作画監督が変わろうと、個性を受け入れず、初期設定から同じ絵柄で貫くこと
  2. キャラクターの個性を、作画監督の好みで変えないこと
  3. ノリ・演出を、作画監督の好みで変えないこと

このようになるのだろう。

わかりやすく言うならば、「スタジオジブリをやれ!」ということだ。

宮崎駿が設定したキャラクターの作画・ノリ・演出・雰囲気を壊さないように、完全に監督の手足となる。監督の能力を最大化する為に、会社も存在する。 

これがスタジオジブリをやれ!ということだ。

そうすれば、恐らく、現代の視聴者は4話を問題なく見られただろう。

今より、DVDやBDは売れただろう。オタク=顧客(市場)が歓迎するからだ。

もし、4話で見るのを辞めてしまった人が大量にいたのなら、これは投資に対する大きな機会損失と捉えられる。つまり、最後まで見れば気に入って、DVD・BDを購入した人もいれば、メディアミックスされた漫画を買った人もいる、CDだって買った人がいるかもしれない。話題性も出る。売れる。スポンサーが付く。金になる。

 

とにかく、儲かる。

 

 

しかし、それでいいのか

 

一つの作品とはまた、クリエイターを育てる場ではないのか? 

クリエイターはそれで幸せか?

オタクはそれで幸せか?

 

村上春樹、プロデューサー・ディレクター、ゲーム…次回に続く。

女子力はどこに行くのか

 

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女子力はどこに行くのか

 やっほー山だよ!

 

 

巷で見かける「女子力」という3文字。

いまでは「女子力」が女子校の学校案内の売り文句にまでなっている。

淑徳大学:輝く女子力

http://www.seitoku.jp/highschool/speciality/woman.html

 電車の中吊り広告には女子力を商材にしたエステサロンとか、脱毛サロンとか、企画旅行が並んでいるし、キラキラしている名前の新しいショッピングモールは、まるで暴力のように内装から店舗まで女子力を感じられるコンセプトとなっている。

渋谷ヒカリエ/Shibuya Hikarie

キラリナ京王吉祥寺 公式サイト

 

日本中、口を開けば「女子力女子力・・・」ともういい加減うんざりする。

 

(1)女子力とはなにか

女子力(じょしりょく 英語: women's power[1])とは輝いた生き方をしている女子が持つ力であり、自らの生き方や自らの綺麗さやセンスの良さを目立たせて自身の存在を示す力[2]、男性からチヤホヤされる力[3]。ーwikipediaより

 

輝いた生き方をするのはおおいに結構だし、男子も女子も、輝きに満ちた人生を送って頂きたいものだ。問題はその後で、女子力が自分の生き方・外見・センスの良さを目立たせる力だったとはな!

要は、女性達の私はこんなに美容に金をかけてる、愛されるべき存在なのに、なんで私はチヤホヤされないの!もっと私に注目しろ。 というシュプレヒコールといったところか。

 

私が女子力という言葉の違和感をもつ正体はこれだろう。さらには、女という武器を最大限に利用した処世術といった意味でも使われる女子力。

 

そして女子力、女子力と言ってる奴に限って、誰からも女子力を求められていない。

 

とはいえ、男でも自分に注目して欲しいと思っているし、出来れば楽に生きていきたい。もはやここで女子力について否定しても無意味かもしれない。彼女もいない、非リア野郎に言われても全く説得力がないだろう。でもやる。

 

(2)女子力のはじまり

そもそも誰だよ!女子力とか始めに言い出した奴!

と思って調べてみたら、働きマンで有名なあの安野モヨコ大先生

安野モヨコ (anno_moyoco) on Twitter

のようである。女子力について最初に気がつくだなんて、さすがモヨコ先生だなあ。

 

(3)女性らしくなっても、モテはしない

では、本題に入ろう。

自分を高めようといろいろ努力する事によって、魅力的な自分になり、良い人生を送る。このスタンスは間違ってない。髪を健康的に保ったり、自分の好きなネイルを施して生活することは間違えなくあなたを魅力的な存在にしてくれる。それにより毎日の生活に潤いが出て精神も健康的になる。でも、それによってチヤホヤされるようになるかというと、違う

女性らしくなる事とモテるようになる事は、意識の高い学生と、意識の高い学生(笑)くらい違う。

 

(4)なぜ、あの娘がモテるのか

顔が格別にかわいいと言う分けでもないのに、なぜかイケメンの彼氏が耐えない友達・・・それに比べて私は女子力があるほうなのに、モテない・・・

私と彼女との差はどこにあるのか?

それはズバリどれくらい、相手を考えているかの差だ。

 

マーケティングといっても良い。

例えばOLに団子を売りたいとしよう。その際、ひたすら団子の美味しさを追求した所でその団子がOLに売れるかといえば、そうじゃない。OLの気持ちとなって、趣味思考やライフスタイル、またライバルとなる洋菓子などを分析し、売り方の戦略を立てる事が必要不可欠だ。

モテる女性というのは日常的に男性を意識し、女友達ばかりではなく男性とも遊び、男性の気持ちが理解できる人といっていい。

 

(5)「女子力」に引く男子

一方、女子力を上げる行為というのは、自分自身に気が向いていて、そこに「男性」がいない、本末転倒なんですな。女子力を上げるという自分磨きは、言うならば自己中心的で、ナルシスティックな行為。女子力を華道や茶道のように「道」として極めてしまうと、当然、恋愛からは遠ざかる。

女子力をただ上げてもモテない!自分磨きもいいけれど、モテたいのならば男子を研究すべし!はい、ドーン。

 

と本来ならばここで結論とする所だけども、今回はもう少し踏み込んでみる。

 

(6)男なんていらない!

話は変わるが、文化が精神的に成熟した社会は女性化する運命にある。

一般的に精神年齢は女性の方が男性より高いらしい。体力しか取り柄が無い男性より、精神的に大人の女性の方が力を持っていくことは道理だね☆

最近は聞かなくなったが、2000年代中盤に「エロ可愛い」という言葉をよく耳にした。過激な露出で注目されていた倖田來未に一番勢いが合った頃の話。

このエロかわムーブメントの際、感じていたのは「女性の間でしか盛り上がっていない」という性質だ。

本来、エロさ(セクシーさ)はチラリズムというか、隠すことで生まれるものなのだ。ただ肌を露出させることは表面的なエロさであってセクシーではない。(なのでエロカワは男性には支持されなかった)

しかし、現在の女子力に通じる「私をみて!」と言わんばかり自己主張、潔く服を脱ぎ、わかりやすいエロさを表現するスタンスに憧れる女性は多かった。この地点で、女子力の先駆けとなる「男子」を排除した「女子カルチャー」がお誕生した。

女子カルチャーの図

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女子カルチャーは「エロかわいい」から「女子力」と姿をかえ、それが一部の女子のみならず、一般大衆化し、現在に至る。

トップモードで着飾った女同士でレストランに行き、女性同士で旅行し、女性同士でスウィートルームに泊まりという贅沢を(現代の女性は)享受したりしているのですが、そこにもう「男」はいない。(中野香織 広告ー恋する芸術と科学vol390,p147)

 

(7)女子力はどこにいくのか 

異性が存在しないライフスタイルは資本主義が生み出したのだが、その話はまた別の機会にする。世の女子力を極限まで極めた女性達は、どこにむかうのだろうか。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%8A%9B

 

見下しの病

やっほー、山だよ。

山田じゃねーよ。

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 「見下しの病と階層図」

 

 (1)自分の立ち位置

いつからか他人を負け組・勝ち組と二分するようになった。

わたしたちは意識的にしろ、無意識的にしろ、様々な理由で他人を区別し、私とあなたとは違うと線引きすることによって、自分が生存する領域をつくり、心の安定を保っている。

身体の成長とともに、プライドと虚栄心はも成長し、他人と線引きする要因が他人を見下す事に変わっていく。自分と他人を社会的階層で勝負し、勝敗を決めていく。逆に自身に向けられる「他人の目」も無視することはできない。

 

(2)下に見られて生きていく事

悲しいかな。あなたは生きていく中であまりにも多くの時間を他人からの「下に見る目」に費やしてしまう。必死に「下に見る目」から逃れようと、上を目指し、上を目指し、生きる。

でも、そうやって50年間。他人の見下しを避けて生きていくと、やっと目から解放される瞬間、そこに余生はほとんど残っておらず、ただ死を受け入れる事のみということになりかねないのだ。 

(3)幸せになりたい

じゃあどうすれば幸せに生きられるのだろう。という事を人間は5000年くらい考え続けてきた。そのなかで獲得した幸せになる唯一の方法は「他人と比べない事」だ。他人と比較することをやめない限り、「下に見る目」から自由になれることはない。では、みんな人と比べるしがらみから解放されて、自由に「ゆとり」ある人生を歩むべきだし、そういった社会が理想なのである。

 

(4)あなたが幸せになると国が滅ぶ。

 しかしまた、「見下しの目」がない世の中は成長がない。人々が「下に見る目」から逃れようと上へ上へ努力する事により、国や個人は成長するのである。(皆平等をスローガンに掲げた社会主義の居場所はこの世にはない)

日本の社会はプラス成長を目標に努力している。だから、あなたが日本がこの先も先進国のままでありたいと望むのならば、あなた一人だけ「見下しの目」から逃れてはいけない、幸せになってはいけないのだ。

 

今回そんな複雑に絡み合って構成された日本人の見下しの目による意識階層を一つの図として表現してみた。図の上に行く程強者となり、下にいくほど弱者であるが、社会的評価ではなく自己評価に基づくものである。夢追い人を例にとると、彼らは社会的には全くもって相手にされていないが、彼らが自己認識している階級が図の位置であると言った具合だ。  

参考図書

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Amazon.co.jp: 下に見る人: 酒井 順子: 本

サブカル系がウザい ~反面教師としてのサブカル入門!?~

なかよし☆交換日記 メンバー紹介

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たかし

プログラミングと女の子が大好きだよ。

(削除されました)

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的確な批判をしつつ、常に自分の立ち位置を気にする山だよ。

 

 

【サブカル系は心が狭い】

 

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この間、バイト先の先輩に誘われて、昼飯行ったのよ。あんまり話したことなかったから、いい機会だなーと思ったんだけど、それが本当に酷かった。

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ほう、どう酷かったんでござるか?

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音楽や、映画の話を振ってきて、それはまあ、誰とでもする会話だからいいんだけど、問題は、とにかく『~べき』『~じゃなきゃ駄目だ』みたいな言葉を多用するんだよ。

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まぁ、よくいるよな、そういう奴。サブカルを装飾品みたいにジャラジャラさせてんのな。

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具体的にどんな会話の展開になったのかというと

 

【店内であるアーティストの曲が流れる。】

 

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お! たかし君、君これ分かる?

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あ、わかりますー。~の~ですよね。俺、好きなんで、ベストアルバム持ってます。

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ベストアルバム!? 君、ベストなんか借りてちゃ、そのアーティストが好きとは言えないよ。 アルバムはアルバムごとに借りなきゃファンとして駄目だぜ。

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あ、そういうもんですか…。

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そうだよ! もしかして、好きなアーティストの曲とか、みんなベストで借りちゃう人?

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えっと…そうですね。やっぱり、ベストなら、自分の知らないヒットとか入ってて、ハマるし。もし、もっと聴きたいなーって思ったら、アルバム借りたりもしますけど…。

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ふうーん。じゃあ、どの辺のアーティストなら、ベスト以外で入れてるわけ?

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YMOは大好きなので、入れてますけど。

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あ、そう! じゃあ、テクノドンのDVDは勿論見たよね?

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いや、あの自分は音楽だけしか…。

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駄目だなー全然駄目だなー

それじゃあ君、ただのつまらない奴じゃん!

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(イラッ)はぁ・・・。

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YMOが好きって言うなら、せめてライブDVDは~と~は絶対チェックすべきだし、同時に、テクノ草創期のクラフトワークからどう影響を受けたかとかも言えなきゃ駄目だね。

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そうなんすか…(飯が不味くなくなってきた…)

 

【回想終了】

 

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これは酷い

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だろ。ホントになんか疲れたし、気が滅入ったよ。

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最近、みなくなった気がしてたが、俺達が見てないだけで、やっぱりまだまだこういうの沢山いるんだな。

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こういう人たちって本当にその作品が好きなのかね。

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いやー、わかんない。

『好きだから布教したい!』って気持ちは誰にでもあると思うけどさ、それとは多分性質が違うよね。『貴方とこの幸せを共有したいの!』ってよりは、自分の土俵に乗っけて、差別する為に薦めてる感じ。

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そういう人って、結局薦められたものを聞いたり、見たりしても、ドヤ顔で

『じゃあ、次はこれだな。そんなので、分かったつもりになってるなんて、甘いよ。』みたいなこと言うよな。

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そうそう。『まだまだ俺はお前の上にいるぜ』みたいなアピールを感じる。それで楽しめたなら、それでいいじゃんって思うけど。

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彼らは一体、何の義務を背負っているのか…

 

【どうすれば、そうならないのか】

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むしろ、俺は彼らをコミュニケーションの反面教師にすればいいのでは、と思う今。

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ふむ、いくつかポイントがありそうだな。例えば?

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まず、人に何かを薦める時、『~べき』『~じゃなきゃ駄目』という言葉は使わないようにしてみる。よく言われるけど、『~してみるのも良いよ』みたいに逃げ道を作っておく。でなきゃ、オススメじゃなくて、強制になっちゃう。

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次に、薦めた後、楽しんでくれてるなら、楽しんでくれたことをまず喜ぶ。自分のお奨めを信じて、わざわざ時間使ってくれた訳だからな。

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ほんで、何より、≪お前は偉くない≫ということを自覚する何も作り出してない訳だから。

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最後は中々大きく出たな…。でもまあ、書評とか書いてない限り、ただ楽しんでるだけの人だもんな。

 

【まとめ】

 

ウザい奴にならない為に注意すると良い3つのこと

何か作品を薦める時、

  1. すべき しなきゃ駄目 ⇒ してみるといいかもね

  2. 薦めた作品に時間を使ってくれたら、その姿勢に感謝。共感して楽しむ。

  3. お前は何も偉くない

 

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ふぅ…。これで俺も、モテモテというわけだな。

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お前、イケメンでもないんだから、せめて良い人から目指してけよ…